Jason Moran

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1975年米国テキサス州生まれ。
ピアニスト、作曲家、教育者。メディアアートやインスタレーション作品も発表する多彩な音楽家。
1999年 名門ブルーノート・レコードから初アルバムを発表。ストライド奏法を始めとする古典的なプレイからポストバップ、アヴァンギャルドジャズ、現代音楽、ヒップホップを取り入れた柔軟な音楽性で評価を確立した。2014年 ブルーノートがレーベル創立75周年記念のコンサートでメインに持ってきたのは、ロバート・グラスパーとジェイソン・モランのデュオ演奏だった。2015年 ドン・ウォズとミシェル・ンデゲオチェロの共同プロデュースによる『オール・ライズ』をリリース。Blue Note TokyoとCotton Clubにて東京公演を行う。現在、チャールズ・ロイドのバンドでも活動。
2016年 自身のレーベルYES LABELを立ち上げ、The Park Avenue Armonyでのソロピアノ・ライブ盤『THE ARMONY CONCERT』をリリース。

Jason Moranのこと

現在のジャズにおいて重要なピアニストの名を挙げよ、ともしミュージシャンや音楽関係者に問うたなら、必ずやジェイソン・モランの名は挙がるはずだ。グレッグ・オズビーがBlue Noteからリリースした『Further Ado』に抜擢された22歳のモランは、それをきっかけにBlue Noteと契約を交わし、デビュー作『Soundtrack To Human Motion』(1999年)以来、同レーベルからリリースを重ねてきた。もう一人の現在のBlue Noteを代表するピアニストと言えるロバート・グラスパーが頭角を表す少し前の話だ。

モランがなせ重要なピアニストなのかは、そのリリース作品を聴けば明らかだ。デビュー作から一貫して、ピアニストであることに拘り、時流を追うこともなく、ストイックにピアノに向き合い続けてきた。しかし、姿勢はストイックでも、その演奏はダイナミズムと静謐さを行き来きし、ピアノの可能性を拡げるように多様なスタイルと奏法、アイディア豊かなコンセプトを追求し続けてきた。

例えば、デビュー作からどのアルバムにも登場する“Gangsterism”とタイトルされた一連の楽曲がそうだ。これはデューク・エリントン、ジャン=ミシェル・バスキア、アンドリュー・ヒルがアイディアのベースとなっている。つまり、エリントンが曲のタイトルをどんどんと変えて曲自体も変化させていったことに触発され、バスキアの『Hollywood Africans』に書き込こまれたGangsterismという文字にマテリアルとしての言葉の力を感じ取り、そして師であり明らかにその影響下にもあるヒルの曲を勝手にアレンジして(最終的には許可を得たそうだが)作られたものである。

あるいは、アフリカ・バンバータの“Planet Rock”のカヴァーも興味深い(『Modernistic』や『The Bandwagon』に収録)。本人曰く「アフリカ・バンバータとジョン・ケージが出会ったらどういう音になるか」がコンセプトだというが、エレクトロニクスやドラムマシンを一切使わない生演奏によるカヴァーというのが、彼のピアニストとしての矜持でもあるのだろう。

1975年にヒューストンで生まれたモランは、ジャズと共にヒップホップとスケートボードにも入れ込んだティーンエイジャー時代を過ごした。NYにやってきてからヒップホップに本格的にコミットしたグラスパーとは対照的でもある。モランには一度だけインタビューしたことがあるが、ジャズのプロデューサーの話をしていたのに、マンフレート・アイヒャー(モランはECMの録音にも参加している)と同列にDJプレミアやMFドゥームの名前が思わず挙がってくる。そういう人なのだ。

しかし、ピアニストとしてのモランは、そのリーダー作でも、サイドマンとして参加した諸作でも、ジャズ・ピアニストであることに徹してきた。素養は充分にありながらも、グラスパーのエクスペリメントのようなクロスオーヴァーなアプローチを見せることはなかった。アンドリュー・ヒルはもとより、さらに遡ってジャッキー・バイアードやアール・ハインズなどジャズ・ピアニストの系譜に自身を位置付けることにも意識的だ。その意味でもストイックなのだ。あるいは実験精神があると言うべきか。「ヒップホップからドラムを全部取ったらどういう音になるか」に興味があるという話もしていた。

そんなモランに一つの転機が訪れたのが、2014年リリースの『All Rise: A Joyful Elegy for Fats Waller』だった。ドン・ウォズとミシェル・ンデゲオチェロを共同プロデューサーに迎えて、ファッツ・ウォーラーをテーマとしたアルバムは、ストレートにダンスと歌に向かった作品だった。ジャズとダンスが密接に結びついていたウォーラーの時代(1930年代)を再現するかのように、ライヴではウォーラーのコミカルな被り物をしてストライド・ピアノを弾いてみせ、アメリカではダンス・パーティ仕様のパフォーマンスもおこなわれた。
あるいは、アフリカ系カナダ人の美術家スタン・ダグラスによる『ルアンダ=キンシャサ』というマイルス・デイヴィスをテーマにした映像作品の音楽監督を務めると、自身も70年代のマイルス・バンドの一員に扮してもみ上げと付けヒゲで変装した姿でエレピやシンセを弾いてみせた。そして、極めつけは、映画『Selma』(邦題『グローリー/明日への行進』)のスコアを担当したことだろう。ジョン・レジェンドとコモンによる主題歌 “Glory” はアカデミー賞の主題歌賞を受賞したが、モランは作曲家としても一つの手応えを掴み、オーケストラとラップとのコンビネーションなどコモンらと新たなプロジェクトを発展させる可能性も生まれたようだ。

ストイシズムと多様性、相反しそうな二つの要素がジェイソン・モランを特別な存在としてきたが、その往還はますます大きなうねりを生み始めている。

原 雅明